1976年ミグ25戦闘機で函館空港で強行着陸 ベレンコ元中尉がアメリカで死去【話題】2023/11

1976年ミグ25戦闘機で函館空港で強行着陸したパイロット、ビクトル・ベレンコ元中尉が亡命の後暮らしたアメリカで死去したとのことです。76歳。アメリカ・ニューヨークタイムズ紙が報じました。

1976年9月6日、ソ連の当時最新鋭戦闘機だったミグ25が函館空港に強行着陸、その後パイロットだったベレンコ元中尉はアメリカへ亡命。ミグ25戦闘機はその後アメリカへ運ばれ関係機関によって徹底的に調査されたとのこと。ベレンコ元中尉は当時の状況について(STV NEWSの報道によると)、ソ連軍の警戒網を超低空でかい潜ったあと高度を上げ自衛隊の迎撃機を待ったが飛来せず、燃料が尽きかけたため函館空港に着陸したと語っていました。
この強行着陸までの経緯もかなり問題になった記憶があります。

中年層以上の年齢の函館市民なら当時の騒ぎの大きさをけっこう覚えているのではないでしょうか。私も当時の大人たちやメディアの騒ぎを覚えています。当日、大きな音を響かせて函館上空を通る飛行機を見たと証言していた人もけっこういた記憶があります。

ベレンコ中尉亡命事件(1976年)とは

1976年9月6日、ソビエト連邦のヴィクトル・ベレンコ中尉がMiG-25迎撃戦闘機で函館空港に強行着陸、アメリカへ亡命を求めました。
領空侵犯前には日本側のレーダーサイトで捉えスクランブル発進したが、地上レーダーサイトでは超低空飛行に対応出来ず、スクランブル発進したF-4戦闘機(F-4EJ)のレーダーでもやはり低空目標を捉えられず、MiG-25は発見されないまま函館空港へ接近、函館市街地上空を3度旋回したあと午後1時50分頃に滑走路に強行着陸。燃料はほとんど残っていなかった。

警察と自衛隊間の管轄を巡る混乱を経ての北海道警察が任意取り調べでベレンコ中尉はアメリカへの亡命を求めた。その後ベレンコ中尉は防衛庁の事情聴取を経てアメリカへ出国。MiG-25の機体は北海道警察から防衛庁へ管轄が移った後日米共同で調査が行われ、当時のソ連最新鋭機について様々な事実が明らかにされた。

ベレンコ中尉のその後

ベレンコ中尉は亡命後身柄安全確保のため頻繁に居住地を変えた後1980年にアメリカ合衆国の市民権を得た。アメリカ人女性と結婚して2人の子供をもうけた(その後離婚)。STV報道によると「航空宇宙企業や政府機関で働き、冷戦終結後は航空ショーにも出演するなどしていた」とのこと。

参考:Wikipedia ベレンコ中尉亡命事件防衛省 情報検索サービス・第4章 ミグ25事件

亡命直後、函館(湯の川)のホテルでのエピソード

関連ブックマーク

おまけ

全裸中年でおなじみ、ロシア方面専門家の小泉悠氏のXより