桧山唯一、江差の「松の湯」守る下岡さん 熱い風呂一日でも長く

update 2016/10/10 09:53


 【江差】「今時、銭湯の話なんてニュースになんないよ。『きれいですね』と言われるのは、いつも暇だから掃除しているだけだからさ」。江差町本町104の銭湯「松の湯」の3代目社長、下岡昇さん(68)は、番台に座り照れ笑いを浮かべる。10月10日は数字を並べると「1010」となることから「銭湯の日」。

 松の湯は下岡さんの祖父が創業。現在では町内はもとより桧山で唯一の貴重な銭湯だ。正確な資料は残っていないが、少なくとも80年以上、この地でのれんをかかげている。

 現在の建物は1982年に改築された3代目で、男女に各浴槽1つ、床はタイル張りで、つまみをひねるとお湯が出るシャワーを備えた昔ながらの風情ある店構えだ。「お客さんは熱い湯を好きで来てくれるから」と大型ボイラーで湯船を42〜43度に保つことを心掛けている。

 北海道公衆浴場業生活衛生同業組合によると、道内の公衆浴場は71年の1124軒を最盛期に利用者の減少が続き、2016年10月7日現在では168軒。渡島・桧山管内は20軒で、内訳は函館市15軒、長万部町2軒、北斗市、江差町、八雲町に各1軒。それでも「通い続けている人がいる限り、銭湯を守っていきたいとする経営者は少なくない」(事務局)という。

 松の湯の経営状況も決して楽ではない。しかし、下岡さんは「銭湯がなければ困る人がいるだろうし、今は続けなければと思っている」。その中で「かまが壊れたり建物自体の修繕が必要になってきたときには、自然に辞めなきゃならないという覚悟はしている」と本音を明かす。

 物心ついたころから銭湯とともに人生を歩んできた。創業当時は1キロほど離れた水源地から木管で水を引き、湯を沸かして住民の暮らしを支えていた。当時は連日大勢の客でにぎわい「お湯を沸かすのが追い付かなくて『ドンドン』と壁をたたいて『早く熱くしろ』と催促されてかまの前で汗を流していた家族の姿を覚えている」と振り返る。

 父親が体調を崩して入院した小学3年の時からは、学校から帰るとすぐにきょうだいでリヤカーを引いて燃料の材木の運搬を手伝った。「冬は寒くて大変だった。長靴が滑るので縄を巻いて歩いたこともあったよ」と話す。

 それから2年後に父親が他界。大黒柱を亡くしながらも悲しむ間もなく、母親の仕事を支えようと、銭湯の手伝いに精を出した。長年母親が番台を、ボイラーと掃除は下岡さんが担当してきた。住民のほか、飲食店関係者が出勤前後に訪れたり、各地から訪れた船員にも重宝されてきた。ただ時代の流れとともに25年ほど前から客足に陰りがでてきたという。

 14年前に母親が他界してからは、下岡さんが番台を守る。脱衣所には、母親が大事に育てたクンシランの立派な花鉢を置く。清涼感ある緑で11個ある鉢の水やりと手入れも欠かさない。
月曜の定休日以外は、毎日午後2時から同8時ごろまでをほぼ番台で過ごす。

 「若いころはこの仕事を何度も辞めたいと思ったけど、いまはそういう気持ちはない。体力面で疲れが残るけど、やっぱりこの銭湯を大事にしてくれる人がいるから」と声を張る。

 今夏はプールや海水浴帰りの小学生が多く訪れてくれた。年頃の女の子も気兼ねなく入浴してもらえるようにと、番台を一時離れて男子の脱衣所で時間をつぶし「男の番台はつらいよ。でも女性に対しての気遣いは大切だ」とする。

 10月10日の「銭湯の日」は日ごろの感謝を込めて入浴料を半額とし、箱ティッシュを贈呈する。通常の月曜は定休日だが特別営業する。「温泉ではないし、露天風呂やサウナ、駐車場もない風呂だけど、お客さんが冷えた体を温めて喜んでもらえればいい」と目を細める。

 営業後、後片付けを済まして一人で湯船に入るのが楽しみ。「みんなに『今日もいい湯だったよ』と言ってもらえるのが一番うれしい。あぁ、銭湯をやってて良かったなといつも思う」と活力が湧く。まちを見守ってきた灯火を一日でも長く守るために、きょうも定位置につく。

提供 - 函館新聞社

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