伊能忠敬の蝦夷地測量開始地点福島町で町おこし

update 2017/1/1 08:17


 【福島】日本地図の完成に尽力した江戸時代の測量家、伊能忠敬(1745―1818年)の蝦夷地測量開始地点である福島町吉岡地区を、伊能ゆかりの地として新名所にしていこうと、町内では官民一体でさまざまな取り組みを進めている。来年、2018年は伊能の没後200周年の節目に当たり、記念碑を建てる計画。町郷土史研究会を中心に史実を伝える取り組みも進めている。

 伊能は1800(寛政12)年、幕命により江戸―道東間を測量した。6月11日(新暦)江戸を出発し、奥州街道を北上。7月10日に福島町吉岡に上陸した。翌日から測量を開始し、箱館へ向かった後、渡島半島を北上。胆振、釧路と海岸線に沿って歩いて調査し、根室管内別海町に到達した。その後、同じ経路を測量して戻り、吉岡峠(白神山道)、松前弁天を最後に蝦夷地測量を終え、同年12月7日に江戸に帰還したとされる。移動距離は3200キロに上った。

 吉岡が蝦夷地測量の開始地点とした根拠として、伊能が記した「伊能忠敬測量日記」に吉岡上陸が記載されている。長男に宛てた書簡には、吉岡の川岸に着船して一泊したことや、知内川前後で測量したことがつづられている。日記も書状も国宝に指定されている貴重な資料で、吉岡上陸説が有力となっている。

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 同研究会の中塚徹朗会長(中塚建設社長)は、会社事務所(三岳)の入り口が伊能の測量地点上と重なっていたことが5年ほど前に判明したのをきっかけに、伊能の研究にのめり込んだ。昨年8月には、伊能が江戸―道東間を測量した際、日記や書簡をもとに1日の歩いた距離を棒グラフにまとめた。
 中塚会長は依頼があれば町内外問わず伊能と福島とのかかわりについて講演する。5年前の12年、福島中学校で生徒に講演した際、伊能の吉岡上陸を誰も知らなかったが、昨年7月の同校での講演の際には、吉岡上陸を知っていた生徒は多数おり「徐々に認識されてきた」と手応えを深める。

 町千軒地区にある山道、いわゆる「殿様街道」も測量で歩いたとされており、毎年春と秋に開く散策イベント「殿様街道探訪ウオーク」でも、何度となく伊能を取り上げてきた。中塚会長は「この史実は町の宝。多くの人に知ってもらいたい」と話す。

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 町も史実を重要視し、没後200年の18年に記念碑を建設する方針。昨年7月、議会の承認を得て建設のための基金を創設。伊能忠敬研究会(東京)や町のホームページなどを通じて全国各地から寄付金を募っている。

 <寄付の方法>
 福島町役場にある寄付申込書(町ホームページからダウンロード可能)に必要事項を記入し同役場総務課へ提出する。役場から送られた専用の「払込取扱票」を使い、最寄の郵便局で振り込む。後日領収書と礼状が送付される。受け付けは18年3月31日まで。問い合わせは同課窓口か電話(0139・47・3001)

提供 - 函館新聞社

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