函館聾学校107年前の「校長」写真発見

 道立函館聾学校(島津彰校長、函館市深堀町27)の前身となる「函館訓盲院」に1901―03年の間、院長として勤めたアメリカ人のメイム・ハントレス・ワドマン夫人の写真がこのほど、神奈川県の青山学院資料センターに所蔵されていることが分かった。写真は同校や地元の関係機関になく、院長就任から107年ぶりに学校の歴史の1ページが埋まった。島津校長(58)は「財政面など当時の困難に挑戦したワドマン院長らの精神に学び、大事にしたい」と話している。(新目七恵)

 函館聾学校は1895年、函館駐在のアメリカ人宣教師ドレーパーさんの母C・P・ドレーパーさんが私財を投じ、青柳町内に設立した。初代院長のドレーパーさんの死後2年間は、遺愛女学校(現遺愛学院)のオーガスタ・デカルソン校長や地元の篤志家らの資金援助で運営を継続。ドレーパー宣教師の後任としてJ・W・ワドマン宣教師が来函した際、当時38歳だった夫人が2代目院長に就いた。

 当時は日本人教員4人、生徒16人。夫の転勤に伴って辞めるまで、施設運営費確保などに努めた。

 島津校長は4月の同校着任後、学校の沿革史に名前はあるものの、写真が1枚もないワドマン夫人の存在が気になり、仕事の合間に調べていた。夫が勤務した日本基督教団函館教会(元町、当時函館美以教会)などに問い合わせたが、大火などで資料は残っていなかった。

 7月ごろ、インターネットで東京都写真美術館の過去の展示会出品写真に名前を見つけ、出品元の青山学院大に問い合わせたところ、同学院資料センターに写真2枚が保管されていることが判明。写真データを取り寄せ、関連資料からワドマン夫人本人と確認した。写真は宣教師の夫とのツーショットと、娘らも一緒に収まった家族写真。ともに東京で撮影されており、家族写真は同学院3代目の故小方仙之助さんが所有し、2006年に寄贈されていた。

 島津校長は「(ワドマン夫人就任当時の函館は)障害児教育は皆無に等しかったのでは」とし、「公的支援はなく財源確保の厳しさはもちろん、度重なる大火や伝染病など、子どもたちの安全確保も苦労したはず」と推測。「骨身惜しまず日本の障害児のために頑張ったワドマン院長ら先人の精神を受け継ぎ、障害者のための行動につなげたい」と話している。

 同校では早速、同センターから送られた写真データを基にワドマン夫人の顔写真を作成し、校長室に飾る予定だ。

update 2008/12/3 15:40
提供 - 函館新聞社


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