戦没者に思いはせ/箱館戦争戦没者供養祭

update 2005/5/12 11:00

 箱館戦争で新政府軍が総攻撃を行った11日、函館市内では箱館戦争戦没者のめい福を祈る供養祭が、相次いで開かれた。新選組副長、土方歳三の命日ともされる5月11日。出席者は、激しい戦闘に倒れた戦没者に思いをはせ、あらためてその霊を慰めた。

 高龍寺(船見町21、永井康人住職)境内にある「傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑」前では、箱館戦争で命を落とした会津藩士を供養する碑前祭が行われた。

 函館福島県人会(熊坂成剛会長)が毎年この日に開いており、会員ら約20人が出席した。

 同寺の日比優道監寺が読経し、熊坂会長ら参列者が順に焼香。碑前に手を合わせ、残虐な死を遂げた会津藩士のめい福を祈った。

 碑前祭には、戊辰戦争で奮戦し敵弾に倒れた娘子軍隊長、中野竹子の養父、赤岡大助の玄孫で、郷土史家の故神山茂氏の二男、神山茂郎さん(81)=神奈川県川崎市在住=も出席。「この地には何度も足を運んでいるが、5月11日に来たのは初めて。来てよかった」と話していた。

 1869(明治2)年5月11日の箱館総攻撃では、旧幕府軍負傷兵の仮病院となっていた高龍寺に新政府軍藩士が乱入し、傷病兵らを殺傷、寺に放火、多数の会津藩士が犠牲になったとされている。石碑は旧会津藩士有志の手で1880(同13)年に建てられた。

 五稜郭タワー(五稜郭町43、中野豊社長)の箱館戦争供養塔前では、箱館戦争戦没者供養祭が営まれた。14日から始まる「第36回箱館五稜郭祭」の協賛行事で、ことしで34回目。

 近くの町会役員や箱館五稜郭祭の関係者ら約50人が出席した。

 中野社長が祭文を奏上した後、観音寺(同町28)の中村裕康住職らが読経。新選組副長だった土方歳三の命日が5月11日に当たり、参列者はサクラが風になびく中、一人ひとりが焼香して土方ら戦死者をしのんだ。

 また、箱館五稜郭祭を間近に控えていることから、祭りの成功と無事も祈願した。(早坂直美、浜田孝輔)

提供 - 函館新聞社



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