函館人模様・岡田菊江さん1/防空監視哨で食事賄い

update 2005/5/1 13:59

 飲酒が禁じられている場所で一人の少年が飲めない酒をあおり、意識を失うほど泥酔した。周りの少年たちは止めなかった。彼の気持ちを痛いほど理解していたから…。

 どこにでもありそうな光景だが、これは60年余り前のこと。場所は木古内の軍事施設。少年は志願兵として翌日、出征することになっていた。

 「木古内には戦時中、目と耳で敵機来襲などの情報を把握する防空監視哨があったんです。今は形跡もなく、知る人もほとんどいなくなりましたが」―。17歳の時、監視哨員の食事賄いとして働いていた同町大平の岡田菊江さん(80)は、当時の様子を鮮明に覚えている。

 監視哨があったのは、現在の木古内町浄水場付近の上の山。3階建てで、哨長1人と1班7人編成の7班が、日替わり2交代で望楼(ぼうろう)に上り、業務に当たった。哨長も副哨長も民間人、班長と哨員は岡田さんと同年か若い少年たちだったという。

 1924(大正13)年10月、岩手県二戸市に生まれる。11歳の時、両親と兄が先に渡っていた木古内に移り住んだ。高等小学校を卒業後、当時の市立函館病院看護学校に進み、1年で体を壊して退学する。

 そんな時、副哨長から依頼を受けた。「監視哨員のご飯を炊いてほしい」「家族のご飯も炊いたことがないので無理です」「いいんだ。ただご飯を炊けば」―。

 「答えになっていないでしょ」と60年以上前のやりとりを笑う。以後毎日、本町の兄の家から自転車で険しい山道を登った。哨員からイカの皮むきや山菜料理、サバのみそ煮など、さまざま学んだ。

 ある朝、壁土のあちこちに吐しゃ物があるのを見て、驚いた。志願兵となった少年が前夜に残したものだと知る。酒で自らを奮い立たせようとしたのか、これで終わりだと思ったのか―。

 哨員に聞くと、少年は午前10時に出征するという。自転車に飛び乗り、木古内駅へ走った。しかし、少年を乗せた汽車は、ちょうどホームを滑り出した。つい昨日まで自分が炊いたご飯を食べていた哨員だ。その彼が遠ざかっていく。彼の胸中が痛いほど分かるような気がした。

 遠ざかる汽車に手を大きく振り、「元気で帰ってきてねー」と思わず叫んだ。「本当は『お国のために頑張って』でしょうけど」と振り返る。みんな、思うことはあっても口にできなかった。

 炊事ではマッチ1本で必ず火をつけるよう、哨長に言われた。1日3本、1週間分21本を渡される。でも、初めての少女にできるはずがない。紙はない。よく乾燥させたスギの枯れ葉を集めて火を付けたが、何度も失敗した。「今でもマッチを持つと緊張するの」

 監視哨でご飯を炊きながら、一方で、文学少女だった。学校ではつづり方が得意。やがてモーパッサンやヘッセ、ハイネなどに親しむようになる。また、兄の書棚にあった社会運動家、後藤静香の「権威」を読み、「私の人生の指針になった」という。

 何かを書きたい気持ちはあっても、書けない時代だった。「戦争って何」「お国のための命って何」―。そんなことを自問自答しながら、震える手でマッチをすった。

提供 - 函館新聞社



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