FC琉球・田島翔選手、Jリーグ目指し奮闘

update 2005/3/4 10:47

 沖縄のサッカークラブ、FC琉球に所属する上磯町出身の田島翔選手(21)が昨季、レギュラーとして県サッカーリーグ1部の優勝に貢献した。チームは九州リーグに昇格し、さらに優勝を果たせば、JFL、その先にはJ2、J1と夢の舞台が待っている。サッカーに対するひた向きな姿勢は人一倍で、「子どものころからあこがれていたJリーガーになるためにも、ことし1年でJFLに上がりたい」。なかなか実力を発揮できず苦悩した時期もあったが、道南初のJリーガー誕生に向けて、シーズンインに意気込みを見せている。

 小学5年の時にJリーグの盛り上がりに影響され、上磯ジュニアFCの一期生として入団した。上磯中2年の夏に左足甲を疲労骨折、3年生の春には左足親指の靱帯(じんたい)を損傷。ともに全治に半年を要するなど、けがに悩まされた。

 進学した函工ではブランクをはねのけ、レギュラーとして活躍。1年生の時に全道大会にも2度出場した。しかし、その後はチームが低迷期に入り、全道行きの切符を手にすることはなかった。

 高校で実績を挙げられなかったことから、卒業後は希望するプロチームの入団テストすら受けさせてもらえない無念さも味わった。それでもサッカー選手への夢をあきらめられず、地元のクラブチーム、函館蹴友クラブに5カ月間在籍し、昼間は走り込みによる体力作りやドリブルやシュートなどの基礎練習に汗を流した。「いつテストを受けられるのかと不安になり、モチベーションが下がりかけた時期もあった」が夢を信じ、孤独との戦いに耐え続けた。

 2002年10月に当時、ラモス瑠偉氏がテクニカルディレクターを務めていた沖縄のかりゆしFCのテストを受け、03年からの入団が内定した。しかし、ラモス氏の解任に端を発し選手が大量に退団したため、チーム入団も振り出しに。退団した選手を中心に新チーム、FC琉球が立ち上がった。受け入れ態勢が整わず、半年間は県内の別のチームでプレーするなど我慢の日々が続いたが、同年11月にテスト生としてようやくスタートラインに立った。

 「元Jリーガーが多数おり、そのレベルについていくのにやっとだった」と強い当たり、勝負へのこだわりなどプロ意識の高さを痛感した。それでも、与那城ジョージ監督の、選手との間に壁を作らない人柄にすっかりほれ込み、指導されたことを自然と吸収していった。

 昨年2月、「ボールを取られてもあきらめずに追いかける」努力と根性が認められ、ようやく正式契約を交わした。過去の経歴にこだわらない監督方針の下、リーグ初戦からピッチに登場。左サイドのMFとして、相手ディフェンスの裏へ抜ける素早い動きでチャンスメークに徹した。

 チームは快進撃を続け、9試合を8勝1分でリーグ優勝。その必死さゆえにわれを忘れていたが、背番号も入団当時付けていた23番から12番へ、そしてレギュラー定着も果たした。

 今一番の悩みは身体面。168センチ・58キロとサッカー選手としては決して恵まれた体格ではない。チームメートの藤吉信次選手(34)からアドバイスを受け、バーベルやスクワットなどの筋力トレーニングに励む。しかし、与那城監督からの「あまり神経質にならずに、素早さで勝負しろ」の言葉を信じ、当たり負けしないよう低い姿勢でタイミングを図ることを心掛けている。

 先月22日からは沖縄県宜野湾で4月の開幕に向けてのキャンプがスタート。チーム内の競争も激化しており、「今季は左足のクロスの精度を高め、ドリブルで勝負できる選手になりたい」とレギュラー確保に向け、プレーにさらなる磨きをかける。

 「北海道人というだけで認めてもらえなかったこともあったので、見返してやりたい」。さまざまな逆境で得た強さと、変わらぬサッカーへの思いを胸に、遠い沖縄での活躍を誓っている。

提供 - 函館新聞社



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