木古内埋文事務所閉鎖へ

update 2003/11/8 12:34

 【木古内】木古内町教委は本年度いっぱいで、町埋蔵文化財事務所の調査業務を閉鎖する方向で検討に入った。上磯町から知内町を結ぶ、広域農道整備事業の計画縮小に伴い、調査費用を補助する道が打ち切りの方針を固めたため。これまでの発掘で出土した土器などは同事務所を収蔵場所とし、保管を続ける考えだが、関係者からは考古学上で功績のあった同町の調査終了を惜しむ声もある。

 文化財保護法では、埋蔵文化財が地中に存在するとされる「包蔵地」で土木工事を行う場合、事前の調査と文化財の保護を義務付けている。

 道の調査によると、町内の包蔵地は計47カ所。これまで、JR津軽海峡線の建設や国道228号の拡幅工事などの計画地と包蔵地が重なる場所で事業主体が費用を負担し、町教委に調査を委託してきた。

 事務所は90年、町木古内にある旧日本鉄道建設公団(鉄建公団)の独身寮として利用していた建物を活用。調査が進むにつれ、増え続ける埋蔵文化財の保管や調査を行う場所が必要となったためで、出土した土器片の実測や、土器の復元、報告書の作製などに携わっていた。

 しかし本年度、道の広域営農団地農道整備事業の見直しで、町内の整備予定地は計画から削除される方向へ。同時に新たな発掘調査の委託や、調査費の補助もなくなることから、事務所の業務閉鎖の検討を始めた。

 現在、調査員や補助職員ら13人が作業を続けているが、本年度中にも泉沢2、蛇内、新道2遺跡の3カ所の報告書の作成を終了させたい考えだ。閉鎖に関し、同事務所は「本格決定ではないが、歴史的に重要な発見がある可能性を秘めているだけに残念」としている。

 町内の発掘調査は1971年、道開拓記念館が実施した札苅遺跡の学術調査でスタート。以来、一昨年までに新道、建川、釜谷、亀川、泉沢、大釜谷など14遺跡で発掘を行っている。札苅遺跡では縄文晩期のムラの構造を解明する集落の遺構が出土し、話題を呼んだ。一昨年の大釜谷3遺跡では、道内で2例目の発掘となる籃胎(らんたい)漆器が発見されるなどしている。

提供 - 函館新聞社



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