明治時代の大砲、鹿児島製の可能性高まる

update 2003/1/20 11:22

 市立函館博物館(佐野幸治館長)が所蔵し、明治時代初めのものとみられる大砲が鹿児島製である可能性が高まり、19日午前、鹿児島県歴史資料センター黎明館の学芸員が同博物館を訪れ、この大砲を調べた。大砲は明治から昭和にかけて「午砲」として市内で実際に使われていたもの。現時点で断定してはいないが、学芸員は「鹿児島で造られた可能性が非常に高い」とし、今後の研究に意欲を見せた。

 函館産業遺産研究会(富岡由夫会長)が以前、大砲を調査し、王冠部分に「鹿」「島」の文字が刻印されているのを見つけた。2文字の間には判読できない1文字があるが、「鹿児島」であると推測される。

 同博物館などによると、函館では1902(明治35)年から32(昭和7)年まで、正午に「ドーン」という空砲(午砲)を鳴らし、時間を知らせていた。鹿児島製とみられる今回の大砲は、函館で使われた3基の午砲(うち2基を同博物館が所蔵)の1つ。青銅製の四斤野砲(よんきんやほう)で、全長1メートル60センチ、口径11・2センチ。重量は約320キロ。戦時中は図書館に秘蔵され、鉄の供出から免れたとされている。

 同研究会が鹿児島市にある黎明館に連絡し、この日、学芸専門員の吉満庄司さんが同博物館を訪問。同研究会の富岡会長、桑島洋一さんとともに大砲を観察し、刻印部分などを興味深げに眺め、写真に収めた。吉満さんは伊達市で展示品を借りるために来道し、函館まで足を伸ばした。

 「極めて珍しいもの。鹿児島で造られた可能性が高いが、確証はない。明治の初め、鹿児島は日本最大の軍事拠点だった。鹿児島産だとしたら、集成館(軍事工場)で造られたのでは。個人としても鹿児島としてもいい研究材料。これから研究していきたい」と吉満さん。

 四斤野砲は国内の製造数自体が少なく、同研究会によると、現在確認されているのはこの1基だけ。吉満さんは「鹿児島で造られていなくても貴重なものだが、どこで造られたか確定すれば、学問的な意味がさらに高まると思う」とも話している。

提供 - 函館新聞社



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