いか踊りの作曲 函館の旅で 音楽プロデューサー“あきらさん”

update 2015/8/5 10:15


 函館港まつりのメーン行事、ワッショイはこだてに欠かせない「函館いか踊り」。1980(昭和55)年に踊りが誕生した際に作曲を手掛けたのが、音楽プロデューサーの高橋徹(あきら)さん(61)=埼玉県在住=だ。毎年大勢の市民でにぎわう「自由参加」の盛り上げ役あきらさん≠ニして知られる存在で、今年も絶妙のマイクで市民を熱狂の夏へといざなった。このほど函館新聞の取材に応じ、いか踊りの制作秘話とともに、自由参加に対する思いを語った。

 「い・く・ぜ、い・く・ぜ、い・く・ぜ!!」

 港まつりのしんがりを飾る自由参加。函館いか踊り実行委員会(吉川久康委員長)が走らせる山車のうち、最後の「5号車」が指定席。独特のだみ声であおる高橋さんに、参加者も全力で応える。

 作曲したのは26歳の時。芸能の仕事を半年休んで旅で訪れていた函館で、いか踊りの発案者の一人、吉川平八郎さんらと知り合い、「曲をつけてほしい」と頼まれたのがきっかけだった。当時、祭りの音楽は手踊りに合うしとやかな曲調が当たり前だった時代。リズム感あふれる斬新な曲は当初、周囲からの受けが悪かったと明かす。

 「いか踊りの2年目に音楽を付けたら大反対された。その年1回でやめようとなったが、最初200人で始まったパレードが、最後には1000人を超えた。『これでなければいけない』となって、皆が手のひらを返した。かなり手応えをつかんだね」

 いか踊りは86年にレコード化し、自ら歌を吹き込んだ。その際、70〜80年代に一世を風靡(ふうび)した人気ロックバンド「クリエイション」が演奏を務めていたことは、ほとんど知られていないと話す。

 「自分の仕事でレコーディングをしていたクリエイションにうそをついて演奏してもらって、かっこいい曲ができた。メンバーはこれが『いか踊り』だとは知らなかったんだ」 現在まつりで流れているのは新たに録音したバージョン。これもまた、サザンオールスターズなどのレコーディングに携わった名エンジニアが手掛けているという。



 有志数十人で始めたいか踊りは徐々に市民に根付き、今では企業や団体が独自の山車を出して踊ることもごく普通になった。そんな中でも年々規模を増していく「自由参加」への責任感は強く、自由参加がなければ港まつりは成り立たない—が持論だ。35年のうち、けがをした1年以外は毎年欠かさず参加。若いころからコンサートで培った話術を生かし、市民が心から踊りを楽しむ姿を見つめてきた。

 「盛り上げるコツは、自分が盛り上がらないこと、余計なことをしゃべらないこと、それに温かみのある言葉。そして、安全に運行することが一番大事。心の中はいつも、『また今年も踊ってくれてありがとう』って気持ちだよ」

 今年も2、3の両日にマイクを握った。長年踊りを見てきた中、ここ10年ほどで踊り手の変化も感じている。

 「昔はいか踊りに対する恥ずかしさがあったし、以前はこちら側からアピールして参加を求めていた。けれど今は幼稚園や小学校で踊ったり、みんなにとって『自分たちの祭り』になったと思う。とっくに俺の手は離れているよね」

 「はじけろー!」「ウエーブやるぞ!」−。両日とも巧みなマイクを披露した後、踊りを終えて解散する参加者に優しく手を振った。「帰る時の笑顔がいいんだ。みんなが楽しんでくれればと思うだけだよ」と、顔をくしゃくしゃにして笑った。これからもいか踊りに欠かさず参加するつもりで「声が出るまではずっと続けていきたい。自由参加だけは、俺の後釜ができるまで頑張っていきたいね」

提供 - 函館新聞社

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