山津波事故きょうで半世紀、犠牲者を慰霊

update 2012/10/17 10:01


 【乙部】町内で1962年に発生した豊浜トンネル山津波事故から17日、半世紀を迎える。死者・行方不明者14人の犠牲者慰霊碑前では16日、遺族らが訪れ、「50年前の大惨事を忘れずに防災の心構えにしなければ」と手を合わせた。

 乙部町史によると、山津波は同年10月17日午前10時45分ごろに発生。乙部と熊石側を結ぶトンネル間で約600メートルにわたって大規模な地滑りが起き、通りかかった函館バス車両と現場作業員を土砂が襲った。6歳の女児を含む乗客11人が遺体で見つかり、函館開建職員ら3人が行方不明、重軽傷者14人の大惨事となった。

 当時の新聞は「地すべりバスをのむ」「とまどう救助隊 余りに大きい地すべり」の見出しで事故の状況を伝えている。

 慰霊碑は新・豊浜トンネルの乙部側にあり、遺族らが毎年この時期に供養をしている。夫(当時40代)が行方不明の町内の浅野トシヨさん(88)は16日、家族5人と足を運び「どこかで生きていてほしいという思いで、大好きなたばこと甘いどら焼きをここに持ってきた」。事故発生翌年から慰霊碑で供養を続ける、龍宝寺の伊藤泰修さん(68)は14人の名前を読み上げて読経し「自分が18歳のときの山津波で、あの日も今日と同じく午後から風が吹いて海が荒れたのを覚えている。犠牲者の冥福を祈り、大惨事を風化させずに防災の備えにしなければ」と話していた。

 当時30歳の父親がこのバスに乗車し、海中に投げ出されながらも助かった町内の男性(45)は「山津波の日はいつも感慨深く、命のつながりや自分の存在を見つめ直している」と語る。町では広報誌で山津波など地域の災害を振り返り「災害は忘れたころにやってくるので日ごろの備えを」としている。

提供 - 函館新聞社


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