「荒神堂」の遺構確認…勝山館跡

2008/8/27
 【上ノ国】上ノ国町教委は、中世の山城・勝山館跡(国指定史跡)で、城代・蛎崎基広(1509―48年)をまつった「荒神堂(こうじんどう)」の発掘調査を進めている。これまでに江戸時代後期に改修された石積みなどの遺構を確認。30日には現地説明会を開いて発掘状況を公開する。

 勝山館は1470年前後、松前氏の祖先に当たる武田信広が築いた山城で、1520年ごろが最盛期とみられている。

 基広は1548(天文17)年、主君・季広の暗殺が事前に発覚して殺害された。死後には亡霊が人々を苦しめたため、遺骨を埋葬した周辺に「荒神堂」を建てて、慰霊したとの伝説がある。江戸時代後期の1841(天保12)年、松前藩主が夷王山などを参拝した際、荒れ果てた「荒神堂」を改修。地面を円形に掘り、周囲に玉石を敷き詰め、石積みや柵を設けたとの記録がある。

 発掘調査では当初の「荒神堂」は確認していないが、江戸後期の改修で掘られた円形のくぼみ、石積みや玉石、柵や門の跡などの遺構を確認。町教委の塚田直哉学芸員は「江戸時代の記録は発掘した遺構を正確に裏付けている」と語る。付近では大きな石が一列に並んだ形で発掘されており、「当初の荒神堂の跡かもしれない。発掘成果を分析して荒神堂の位置や作られた時期を解明したい」とする。

 本年度の調査は5月から始まり、勝山館の正面入り口では防御用の空堀や通路跡を発掘。付近では複数の墓や人骨も見つかり、町教委で埋葬時期などを調べている。

 説明会は午後1時半からで、参加希望者は旧笹浪家住宅前に集合。問い合わせは町教委TEL0139・55・2230。

提供:函館新聞社

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