あす終戦記念日、「私の8・15、戦争を語る会」徐々に参加者増加

update 2008/8/14 10:51

 地域住民が戦争体験を語り合う「私の8・15、戦争を語る会」がこのほど、函館市内の乃木町会館で開かれた。ことしで8回目を迎えた「語る会」に集った市民は、それぞれ自分の記憶と向き合い、語ることで、戦争の悲惨さ、平和の尊さをあらためて実感していた。ゆっくりと、噛み締めるように語る人。堰(せき)が切れたように話し続ける人…。当初からかかわっている市内乃木町の佐竹惇司さん(78)は「共通するのは『戦争はもう起こしたくない』という思い。今後も続けたい」と話す。あす15日は「終戦記念日」―。

 「函館空襲では母と2人で防空壕に隠れていた。頭上を飛行機が飛び回り、弾の破裂する音を耳にして、初めて戦争の恐ろしさを感じた」「船を米軍機が攻撃するのを見て皆泣いた。銃撃された汽車の乗員から、血が噴き出した様子も頭から焼き付いて離れない」。語る会に参加した市民は次々に言葉をつむいだ。

 語る会は2001年、佐竹さんや友人らが「戦争を語り継ぐ必要があるのでは」と考えて始めた。地域に住む戦争体験者に講師を依頼し、これまでにモンゴルでの抑留生活や東京大空襲、長崎での被爆体験などが語られた。一般参加者にもその場で語ってもらう形を取り、参加人数も徐々に増えているという。

 函館出身の佐竹さんにとって、戦争体験は学生時に勤労奉仕に駆り出された日々の記憶だ。上川管内音威子府村で、馬で材木を運ぶための雪道作りに励んだ経験は思い出深い。終戦時は釧路管内厚岸町の農家に「援農」で滞在していた。「隣りの人が『戦争に負けたぞ』と駆け込んできた。虚脱感に襲われ、次の日はやる気が全然出なかった」と振り返る。

 戦後間もなく、佐竹さんは中学校の教員になる。「当時は貧困な家庭が多く、親に捨てられたり、行方不明の子供もいた」。戦争で最も犠牲となる下層階級の家庭、弱い立場の子どもたちに触れた経験が、現在の活動の原動力となっている。

 8回目の集いには約40人が参加。市内の柳生瓊子さん(71)は「身近な場所での空襲体験を聞き、あらためて戦争の歴史を実感した」とし、渡辺誠司さん(80)も「戦時中を思い出すと、涙が出る」と話した。

 佐竹さんは「他人同士で戦争体験を話す機会は少ない。戦争では被害を受けただけでなく、日本が加害者の立場にあったことも考えながら、ここで語られたことを文章に残していくことも考えたい」としている。

提供 - 函館新聞社



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