心に残る映画黄金期 あす映画の日…旧函館日活劇場支配人・田口さん 映写技師・潟端さん

update 2007/11/30 15:29

 テレビもゲームも普及していなかった昭和30(1955)年代、映画は庶民の唯一の楽しみだった。函館市内の映画劇場もピーク時には25館を数え、特に繁華街だった大門地区はその半数が建ち並ぶ“激戦区”としてにぎわった。日本映画界を支えた製作会社「日活」の直営劇場「函館日活劇場」も85年まで営業していたが、その場所は今、函館競輪場の松風町サービスセンター(函館市松風町)に生まれ変わっている。市内に住む同劇場の最後の支配人、田口敏孝さん(78)は、市内の映画館業界の移り変わりを見詰め続けてきた一人だ。同劇場の映写技師だった市内の潟端啓一さん(75)とともに、「昔は劇場に行列ができる良い時代だった」と静かに振り返る。あす12月1日は「映画の日」―。

 吹き抜け3階建ての場内には約540席の椅子が所狭しと並び、正面には巨大スクリーン…。「大門シネマ」を前身に59年、函館日活劇場となった建物は、“日活カラー”のえび茶色の外壁が輝くモダンな劇場だった。

 田口さんと潟端さんは高校卒業後、47年と50年にそれぞれ入社。田口さんは映写技師として約25年間過ごし、その後閉館するまでの約8年間は支配人を務めた。潟端さんは当初、ほかの劇場にフィルムを自転車で運ぶ「かけ持ち」の仕事を務めた後、映写技師として最後まで働いた。

 入場料は4円99銭。戦後間もない時代で電力事情が悪く、上映は1日おきの夕方だけ。「始まる1、2時間前から人が列を作っていた」と田口さんは懐かしむ。

 当時は日活の現地社員が撮影の応援として駆り出され、田口さんも小林旭、浅丘ルリ子主演で大ヒットした「渡り鳥シリーズ」第1作目の函館ロケなど、さまざまな撮影を手伝った。

 故・石原裕次郎が主演した「夕陽の丘」(64年)の函館ロケでは撮影スタッフに同行。函館駅前の現・函館ハーバービューホテル付近での撮影で、悪役の野呂圭介が殺され海に落ちるシーンを撮り終えた後、寒さに震える姿を見た裕次郎が「野呂を殺す気か」とスタッフを一喝したことを今でも覚えているという。「面倒見が良く、大した役者だと感心した」。田口さんの思い出は尽きない。

 一時は劇場関係者が街中をパレードしたり、野球部を結成するほど市内の映画館業界も盛り上がったが、カラーテレビが普及し、娯楽が多様化する中、映画館は減り続け、同劇場も閉館の日を迎えた。

 当時は日活の現地社員が撮影の応援として駆り出され、田口さんも小林旭、浅丘ルリ子主演で大ヒットした「渡り鳥シリーズ」第1作目の函館ロケなど、さまざまな撮影を手伝った。

 潟端さんと田口さんは、半世紀を同劇場でともに過ごした仲間。現在は松風町サービスセンターの裏手にある駐車場で一緒に働いている。2人は「職場が無くなったのは寂しいが、これも時代の流れ。あんな時代はもう二度とこないだろう」と話す。

 「映画の日」は、社団法人映画産業団体連合会(東京)が、日本の映画産業発祥の記念日として56年に定めた。

提供 - 函館新聞社



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