新年企画 「協働の時代」/よみがえる箱館丸の会、愛する船のため奔走

update 2006/1/6 12:49

 赤と白の市松模様の「U旗」、青の縁取りで白と赤を配した「W旗」で表すメッセージは「安全なる航海を願う」。その使命を託された旗がぱたぱたと風になびき、入港する日本最大の帆船「日本丸」を国際水産・海洋都市構想を掲げる函館らしい形で出迎えた。

 「先人の大いなる偉業を後世に伝えていきたい」―。市民グループ「よみがえる箱館丸の会」の代表、澤田石久巳さん(57)は、函館市大町14の函館港西ふ頭に展示されている、市が所有する箱館丸の存在意義を市民らに周知しようと地道な活動を続ける。

 箱館丸は、日本人の手で初めて建造された洋式帆船。1988年に開催された「青函トンネル開通記念博覧会(青函博)」の展示用に復元された。その後、実際の造船に携わった船大工、続豊治氏の6代目である続博氏らが復元船を買い上げ、市に寄贈した。

 澤田石さんは、親子でヨット競技に没頭したこともあるシーマン。青函博の会場が自宅に近かったこともあり、毎日足を運び、箱館丸の勇姿に触れた。「見ているうちに、その偉大さに引かれていった」のは、シーマンとして当然だったのかもしれない。

 また、開催中は自宅兼店舗隣の空き家を借りて、来場者に楽しんでもらおうと地域観光案内所を設置。「地域の衰退を食い止めるためのきっかけにしたい」との強い思いが多くの賛同者を得ることになり、1日2人体制で会期72日間を乗り切った。

 華やかな催しの後、唯一形として残ったのが箱館丸。青函博の賛同者とともに「よみがえる箱館丸の会」を立ち上げ、まず取り組んだのが91年8月13日に始まった「函館夜景の日」だった。帆を張った船体にライトアップした姿は「海に浮かんでいるようだった」。YOSAKOIソーランの演舞、ジャズライブなど、年を追うごとに盛り上がりを見せた。

 開始から10年を節目に主催団体から、イベント継承を依頼されたが固辞。「イベントをやるために箱館丸にかかわってきたわけではなく、区切りをつけたかった」。翌年からは7月の「海の日」に、航行する船舶に合図を送る「国際信号旗」を帆柱に掲げるようになった。

 昨年10月には、日本丸とおしょろ丸が来函したのに合わせ、市水産物地方卸売市場とメモリアルシップ「摩周丸」での3カ所掲揚も実現。「ボランティアという言葉は好きではない。やらせてもらっている気持ちを忘れずに、文化として町の活性化につながれば」。愛する船のため、奔走する日々は続く。

提供 - 函館新聞社



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