おおっと!?

いや〜、進行が早い!休み明けだというのに、いつの間にこんなに進んだのだろう?向こう側が見えなくなってきたぞ!

さて今日は竜馬を斬ったこの人。

「坂本竜馬、中岡慎太郎を斬ったのはこの私、今井信郎だ」と、後に新聞記者に真実を語った今井信郎は、幕府御中間・今井安五郎の息子で、御中間、御用方書物調役、講武所取締を兼任、神奈川奉行支配定番役、取締役と進む。慶応2年、京都見廻組の与頭として上洛(翌3年には坂本竜馬と中岡慎太郎が殺害された)。鳥羽伏見の戦いで敗れ、古屋佐久左衛門、永井蠖伸斎らと衝鋒隊を組織し、北関東、北越を経て会津へ。その後仙台にいた榎本らと合流し、他の幕軍同様に蝦夷に向かう。
箱館戦争開戦後まもなく永井蠖伸斎、天野新太郎の両隊長を失った衝鋒隊は総崩れとなり、五稜郭に退く。最後の酒宴を開いていた時に小用で今井信郎が席を外した直後、新政府軍の放った大砲の弾が彼らの頭上を直撃。難を逃れた今井は五稜郭開城時に降伏することに。
晩年はキリスト教の洗礼を受け、平穏な暮らしを送った。そして明治32年に、ふとしたきっかけで新聞記者に「坂本竜馬、中岡慎太郎を斬ったのはこの私、今井信郎だ」と語ったと言う。

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