あれれ…

昨日よりもさらに大きくなっている!後ろのマンションが見えなくなってきましたよ。

さて今日は、情が厚く気骨あるこの人。

箱館侠客となった柳川熊吉は浅草生まれの江戸っ子。安政の大地震の後に箱館に移り、遊郭の金棒引をやっていた。箱館奉行の小者となり、忠勤と侠気を持って愛された人間味あふれる人柄。消防組頭を努めていた柳川熊吉、脱走軍上陸後は消防夫を指揮して町内の警戒にあたった。
敗戦の兆しが見えた頃、脱走軍の重要書類の保管を頼まれ、これを死守し、のち新政府軍に引き渡したとも言われている。
箱館戦争降伏後、埋葬されずにいた脱走軍の死骸を棟梁とともに探し集め、函館の西部地区にある実行寺境内に合葬し墓を建てた人物でもある。また後に、これらの遺骨を函館山山麓の地に移し、明治8年には榎本武明、大鳥圭介の協力のもと、石標を建て祭典を行った。これが現在の函館山麓の「碧血碑」。老後は脱走軍戦死者の霊を祭ることに専念したという義を重んじ情に厚い人間であったそう。

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