なんと!?

昨日、多忙のあまり一回休みしていた間に、こんなにも骨組みが進んでいたとは!?

さて今日は箱館奉行を務めたこの人。

三河国奥殿藩主松平乗尹の子として生まれ、旗本永井求馬尚徳の養子となった永井玄蕃は、昌平黌で学び、嘉永6年には徒士頭、目付けと出世する。安政元年には長崎に移り長崎海軍伝習所の監督に就任する。文久9年には京都奉行、元治元年には大目付、若年寄格、本役になる。鳥羽伏見の戦いの後、免職になると榎本艦長らと江戸を脱走し、蝦夷に向かう。蝦夷上陸後は箱館奉行の職につき、対外交渉や貿易、治安維持、裁判などを担当する。箱館戦争の激戦の最中、弁天台場にて防戦するものの、新政府軍の猛撃にあい、五稜郭に先に降伏する。降伏後、東京で投獄される。
明治5年、放免された後は、様々な役職を務め、元老院権大書記官を歴任する。

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