微妙に高く…
外回りのフェンスの上に骨組みが顔をだすようになってしばらく経ちます。近くで見ていると微妙に少しずつだけど、骨組みの上の方に何か組み立てられているのがわかりますよ。 さて今日は、開陽丸の副艦長で榎本武明の親友。
開陽丸副艦長の沢太郎左衛門は、幕臣の息子で早くから蘭学を学び、砲術にも精通していた。安政4年、第2回長崎海軍伝習生に選ばれる。文久2年に内田恒次郎、榎本釜次郎、赤松大三郎、西周助、伊東玄白、林研海らとともにオランダに留学。ベルギーで火薬製造所に工夫として働きながら当時極秘扱いの火薬生成方を習得。 鳥羽伏見の戦いの最中、開陽丸は大坂天保山沖に停泊中だったが、江戸に向けて出帆せよと命令されるものの、艦長榎本は不在のため艦隊の指揮権は全て沢に任せられた。戸に戻った沢は新政府軍の軍艦引渡しに反対し榎本らと共に江戸を脱走。蝦夷地では開拓奉行として室蘭に開拓奉行として赴任。五稜郭降伏を知ると1週間後には室蘭の兵も降伏する。 つねに武揚の脇で武揚を静かに支えた男。
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