だんだんと

ちょっとずつだけど目に見えて組みあがっていくのを見ていると、なんだかうれしくなりますね〜。

さて今日からは、箱館戦争の関わったひとりひとりをピックアップ。

「榎本の洋才、松平の和魂」と蝦夷共和国内で人気のあった榎本の女房役・松平太郎は天保10年(4年という説も)禄高150俵の幕臣、松平九郎左衛門の子として生まれる。表祐筆として出仕。代々の幕臣で、洋式兵学を学び、慶応3年には外国奉行支配組頭に転じ、陸軍奉行並、歩兵奉行等と昇格した。伝習隊に軍資金を用立てしたり、彰義隊隊士、春日左衛門らに陸軍隊を編成させたりと後方支援をした後、榎本の海軍に身を投じ蝦夷へ。蝦夷では日本初の選挙制度により副総裁に就任。激戦を戦うが降伏を余儀なくされ榎本や大鳥ら同様、東京辰ノ口糾問所に禁固される。放免され新政府に出仕するが、その晩年は不遇であったとされる。

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