寒い中、ご苦労さまです

明日から12月。いよいよ寒さも厳しくなってきます。雨や雪が降ると、工事現場の作業は辛そうですよね…。
今日も雪がチラつく寒い1日です。

さて、その昔函館には函館日日新聞社というのがありました。
そこにはこんな人たちが働いていました。

明治時代、函館には函館日日新聞社がありました。ここには後に文学界で活躍する人が数人勤めていました。以前も少しふれましたが、高橋掬太郎もその一人。根室生まれの彼は就職した根室新聞社から、大正11年(1922年)函館日日新聞社に入社し社会芸術部記者として働きながら、独学で学んだ作詞活動を続けていました。昭和5年(1930年)に「小樽小唄」がコロムビアレコードから発売され、翌年には彼の代表作となる「酒は涙か溜息か」を古賀メロディにのせ藤山一郎が歌い、大ヒット。函館の十字街銀座通りからイメージして作詞したそうです。これを機にコロムビア専属作詞家として活躍。戦後はキングレコードに移り、「ここに幸あり」「古城」など数多くの流行歌を作り、誌や小説、脚本などを手がけました。
写真:高橋掬太郎歌碑

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