工事は着々と基礎工事がすすんでいます。ただ、以外にも大きな石がごろごろと出てきてるそうで。昔流れていた願乗寺川の川原の石らしいとか。そこも今は埋め立てられて…。
川も海も安政年間には埋め立て工事を行っていたそうです!
この願乗寺川と函館湾に面している現在のウォーターフロントあたり、すでに安政6年(1859年)に埋め立てに着手していました。埋め立てられたところは築島と言われ、橋が架けられたりしていたそうです。長崎の出島みたいな感じでしょうか。埋め立て地には倉庫や造船場が建てられました。現在の豊川町と大手町にまたがる港岸部分を埋め立てたところを新築島といっていましたが、文久年間に付近の住人有志が土地の繁栄を願い豊川稲荷神社を建てたことから町名も豊川町となったそうです。
写真:参道から豊川稲荷神社をのぞむ
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