なんと、基礎工事のときに地下からいっぱい出てきた巨石のせいで、ちょっぴり完成が延びているそうだ。
現段階では1ヵ月半遅れの10月中旬完成予定です。
さて今日は、伊庭八郎の大親友。
文官の家に生まれた嫡男で、評定所の官吏を努めていた山本小太郎は、伊庭八郎の大親友。遊撃隊を決起した際も「伊庭の友達だから」と隊に加わる。伊庭と美加保丸に乗り込むが、嵐で座礁する。横浜にて潜伏中、伊庭が好む本を届けたり、吉原の太夫・小稲の元へ金策に走り、蝦夷へ行くため旅費の50両を工面したと言われている。
機会を待って、慶応4年の冬に伊庭と英船に乗り込み蝦夷・箱館へ向かう。
蝦夷に着くと、遊撃隊が配属されていた松前へ。江差へ転戦した際に新政府軍の攻撃により戦死する。死ぬ間際に「俺は死ぬ」と言ったと伝えられている。
少ない資料の中には、酔っ払っては雪の中を転げまわったというエピソードも。
友のためなら命も惜しくはないと、親友の伊庭と行動をともにし戦った潔い精神の持ち主。伊庭八郎の辞世の句で「まてよ君迷途も友と思ひしにしばしをくくる身こそかなしき」の“まてよ君”は本山のことだと言われている。
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