あの貝塚は?

そういえば、基礎工事のとき地下5Mほど掘り下げたところに、砂地に大量のホッキ貝の層が出てきてた。工事現場から遺跡なんかが出てくることはあるけれど、この現場からは大きな岩と貝殻の層くらいしか出なかったんだね。函館市の歴史の貴重な資料なんてことにはならなかったのだ…。

さて今日は、剣術に秀でたこの人。

丸毛靱負は、「剣道を以て右に出る者なかりし」といわれた榊原健吉の門下で直心影流の極意皆伝を受ける。京都へ上京した将軍・家茂に従い、見廻組の肝煎をつとめる。その後、江戸に戻ると御書院番、奥詰銃隊に属するも、隊を脱走し旧幕抗戦派にともなって日光に向かう。そこで、友人らのすすめもあり、旧幕臣と徳川ゆかりの有志による抗戦部隊・彰義隊に入隊する。彰義隊では本営詰組頭の役に就き、黒門口、山王台で奮戦。しかし、上野の戦いで敗戦すると蝦夷・箱館へ向かう決心をし、戦場で抗戦。しかしここでも敗戦、降伏となると2年間東京で投獄の身となる。
出所後は、勝海舟の口利きで横浜税関の官吏となる。また、晩年は横浜毎日新聞の記者になったとも言われている。

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