別段変わりばえのない見た目です。
中では建築工事が進んでいるんだけど、何せ見えないもんで…。
さて今日は、「今の日本に甲賀がいれば…」と言わしめる程の英傑。
旧幕府軍海軍「回天丸」艦長の甲賀源吾は、日本海軍の英雄と言われる東郷平八郎に「今の日本に甲賀がいれば…」と言わしめる程の英傑。
早くから矢田堀鴻について軍艦操練所で蘭学と航海術を学び、軍艦操練方手伝出役、軍艦操練教授方出役を経て、文久元年7月軍艦組出役を命ぜられる。慶応4年、榎本武揚が旧幕府の艦隊を率いて品川沖を脱出した際、「回天丸」艦長として共に蝦夷へ向かう。
宮古湾海戦では、甲賀が発案したと言われる奇抜な戦術で、新政府軍軍艦「甲鉄艦」を奪取しようという作戦で陣頭指揮を執る。しかし、作戦は失敗。敵艦の機関銃の反撃に多くのものが命を落とした。甲賀もこのとき眉間に銃弾を受け戦死。
無口ながら決断力に秀で、海軍一筋の軍人であった。
享年30歳。
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