建築工事の進行具合はどんなもんだろうと裏側にまわってみるも、住居棟の建築も進んでいるため、よく見えず…。
さて今日は、白面清痩婦人の如し、而も性沈勇果と評されたこの人。
二関源治は仙台城下小田原の三十二石大番隊士・二関駒治の長男として生まれる。
「幹短人、白面清痩婦人の如し、而も性沈勇果」と評される。戊辰東北戦争では越後戦線に加わり、後に額兵隊小隊司令士となる。また、仙台降伏後は、仙台領石巻で藩士の次男・三男や浮浪の徒で編成した反革命部隊・見国隊を組織し、北海道で新政府軍に抵抗することを申し合わせると、近郷在住の富豪や大百姓から軍資金を調達。明治2年、英国の商船で蝦夷に上陸すると、先方部隊として新政府軍と戦う。矢不来、有川などで奮戦するも、5月11日大森にて新政府軍の攻撃の際、敵弾に倒れ、翌12日戦死。
享年34歳。
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