今日の現場はこないだより静かみたい。
ドガンドガンやってたのは、コンクリ流し込みの木枠作ってたのかな?
さて今日は、旧幕府軍海軍艦長のひとり。
松岡磐吉は、江川坦庵の家士であったが、安政3年に幕府によって選ばれ長崎の海軍伝習所で学ぶことになる。咸臨丸航米の際は測量方をとして乗船。
江戸城開城後、慶応4年8月に軍艦「蟠竜」の艦長として榎本武揚と共に蝦夷・箱館を目指す。函館湾海戦時、新政府軍に所属する軍艦「朝陽丸」を撃沈するなど活躍したが、「蟠竜」は弾切れと機関の故障により放棄され、新政府軍により放火される。五稜郭が落城降伏した後は、東京に送られ投獄される。明治4年、西ノ丸の獄舎で病死した。
「蟠竜」には後日談があり、放火されたあとギリス商人が修理、改造し、北海道開拓使に売りつけ、名を「雷電」と改め輸送船として使用された。さらに明治10年に軍艦として再び海に出た。
|