謎のベールに包まれた現場からはドカンドカン、ガンガン、ガシャガシャと様々な音がしている。
中はいったいどうなっているの?
さて今日は、鳥羽伏見の戦いから箱館戦争終結までの顛末を書き残したこの人。
開陽丸機関長の小杉雅之進は、15歳のとき幕府伝習生第三期生として長崎の海軍伝習所に留学し、蒸気方へ進み、蒸気理論やスクリュー式蒸気機関の操作方法等を学ぶ。日米修好通商条約に基づく遣米使節が乗船する米軍艦の随伴船に咸臨丸の蒸気方として乗船。帰国後は小杉雅之進は江戸の軍艦操練所教授となる。
榎本武揚が開陽丸艦長となると同時に小杉も開陽丸の乗組員となり、翌年に機関長となり共に蝦夷へ向かう。箱館戦争降伏後、小杉は弘前で幽閉の身となる。幽閉中、慶応4年勃発の鳥羽伏見の戦いから五稜郭の戦いで終結した明治2年5月17日までの顛末をまとめた麥叢録(ばくそうろく)を書き上げた。
放免後は新政府に出仕し、運輸行政を担当。後に大阪商船会社に監督部長につく。退職後は静かに余生を過ごしたと言う。
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