夜の現場

今日の作業も終わり、静まりかえった工事現場。ほんと静かです。
明日また多くの人の手で作られていくんですね。

さて今日は、美・知・力の三拍子揃ったこの人。

「清秀なるなかに和気ありて一個の美丈夫なり」「ごく優しい美男子で背も高いほうではありませぬでした」と言われた伊庭八郎は、講武所剣術師範・伊庭軍兵衛の長男として、江戸下谷御徒町に生れる。江戸でも五本の指に入る剣術の道場、心形刀流の跡取。
慶応2年、軍制の改革により遊撃隊頭取を拝命すると、八郎も遊撃隊一番頬に所属する。鳥羽伏見の戦いで敗れると、人見らと開戦した箱根の戦いに参加。このときの軍で八郎は左腕を失うものの、なお敵陣に斬り込み、勢い余ったその刀はそばにあった岩をも切り裂いたという。
遊撃隊自体は、その後熱海から、館山に移動し、更に榎本艦隊ともに奥羽へと向かう。その後蝦夷に移り、遊撃隊の守備地松前に赴く。箱館戦争が始まると参加。木古内戦にて敵の銃弾を胸に受け致命的な傷を負う。「伊庭の胸部は紫色に変じてしまって殆ど腐食していたけれども唯の一回も痛いと言ったことはありませぬ」と表されたとおり、気骨ある人物。しかし、明治2年5月12日、降伏を悟ったのか、榎本から渡されていたモルヒネをあおり自らの命を絶った。享年26歳。

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