ベール(ホントは落下物よけネット)に包まれて中が見えないから、逆にどーなってるか気になるな〜。
さて今日は、あまりよくわからない隊長さん。
大川正次郎は江戸城開城の時の脱走兵らに名をつらねているものの、他の伝習隊体調同様それ以前の資料がほとんど残っていなく、謎が残る人物。
浅草報恩寺に向かい、他の脱走兵と合流し宇都宮、会津と転戦し会津では沼間慎次郎と共に白虎隊の訓練にも加わっている。会津で榎本らと合流し蝦夷に渡ってからは、伝習隊の古参隊士であり、伝習歩兵隊隊長として参戦。箱館総攻撃の日には亀田方面の指揮官として隊を率いていた。終戦後は寺や弁天台場に御預けの身となり、釈放後には駿府に行く。
明治4年、滝川充太郎らと陸軍に入隊、そして西南戦争に参戦する。
後に金沢で没したといわれるが、その間の消息は不明である。
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