さらに!

写真じゃわからないけれど、さらにもう1階層が作られ始めています。こなると早いな〜って感じますね。

さて今日は、箱館戦争に身を投じた博愛と義の人。

筑後久留米藩の郷士高松与吉の三男として生まれた高松凌雲は、養子に出されたが実兄の古屋佐久左衛門を頼って江戸へ出ると蘭学を学び始、有名な適塾で医学を学ぶ。一橋家医師をへて幕府奥詰医師になる。幕府外交官の1人としてパリに留学。そこで医学と赤十字の精神を学び、医師の本来あるべく姿を知る。
幕府敗退の知らせを聞くと帰国し、軍医として榎本らと行動を共にし蝦夷へ。箱館戦争では、壮絶な戦いが続く中、敵味方の区別なく負傷したものの治療にあたる。この凌雲の患者に対する姿勢は、日本の赤十字精神の始まりとも言える。
戦争終結後、一時預かりの身となるが放免されると新政府に出仕することなく、同愛社を設立。生涯を分け隔てない医療を行った。

適塾
大阪大学の前身。1838〜1862年の25年間大阪・船場にて緒方洪庵が開塾。若者の教育の場として多くの人材を輩出。塾生には高松凌雲をはじめ、福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内などがいる。

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