頑丈そう

なんだか日々頑丈になっていっているよう。人間同様、骨は強い方がいいもんね。

さて今日は、英語でケンカの仲裁もできたという英知あるこの人。

筑後久留米藩の郷士の子として生まれた古屋佐久左衛門は、医学を学ぶがその後洋学の道に進む。神奈川奉行の下吏として英国軍隊の駐屯する。この時に外国人と日本人とのケンカの仲裁に入り、事をおさめたという逸話が残っているほど語学に堪能で、イギリスの「歩兵操練図解」を翻訳をした。その実力を買われ歩兵頭、ついで歩兵指図役頭取になる。各地で展開された戦争においては勇名を馳せた。鳥羽伏見の戦いの後、衝鋒隊を組織して会津戦争に参戦。その後榎本らと合流し蝦夷へ。
箱館戦争では果敢に戦うも、明治2年5月に新政府銀による五稜郭の本営への砲撃で重傷を負い、箱館病院に運ばれ実弟・高松凌雲が治療にあたったが1ヶ月後に息を引き取った。享年37歳だった。

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