函館大火と共愛会の歩みまとめる 函短大の松田教授

update 2017/4/17 07:55


 函館短大保育学科長の松田賢一教授らが、1934(昭和9)年の函館大火後、寄付金を基に託児所を設け、復興に尽力した社会福祉法人函館共愛会の歩みを、論文「函館市における社会事業史研究B」としてまとめた。保育に関する規定の作成や保育士の養成所の開設など、函館の保育を先導した取り組みを著した。

 共愛会の創設は、2万4000戸余りが焼失し、死者2166人を出した34年3月の大火がきっかけ。就労する保護者のため、託児所が5カ所増の9カ所になったが、当時の坂本森一函館市長はさらなる社会的施設の必要性を痛感し、大火から半年後、財団法人函館共愛会(当時)を創設、初代理事長に就いた。

 簡易住宅の建設や職業紹介などを行い、9カ所のうち3カ所の経営は共愛会に移管された。43年には5カ所の託児所(新川、谷地頭、高盛、駒止、亀田)に3〜8歳児計918人が入所していたという。

 保育事業拡大の基盤も作り上げた。35年には「函館共愛会託児所規定」を設け、入所できる年齢や執務時間、おやつの料金などを記している。また、43年には共愛会が主催して保母養成講習所を開設。保母の養成が本格化したのは戦後で、道内では50年に道立保母専門学校、55年に函館保母養成専門学院が開校している。松田教授は「戦後に先駆けて保母講習会を行っていたのはすごい。保育のみならず、保母の裾野を広げる事業も行っていた」と話す。

 昨年2月、新川町の中央認定こども園にあるモニュメント「この子らに、未来を託して」の後部に書かれた、函館大火についての記述を見たことが執筆のきっかけだといい、松田教授は「現在市内にある保育園は44園だが、その模範となる保育事業の礎を築いたのが共愛会。モニュメントの言葉は『保育とは何か』を問い続けている」と話す。

 14日、論文を受け取った共愛会の近江茂樹理事長は「大火の後にスタートした託児事業は、今も認定こども園として全て残っている。肉付けしてまとめていただきありがたい。職員にも話したい」と謝辞を述べた。

 論文は今夏をめどに、同短大のホームページなどで公表する。

提供 - 函館新聞社

その他の新着ニュース

前のページにもどる   ニュースをもっと読む



ご注意:
●掲載している各種情報は、著作権者の権利を侵さないよう配慮の上掲載されるか、又は、各情報提供元の承諾の元に掲載されています。情報の閲覧及び利用については「免責事項」をよくお読み頂いた上で、承諾の上行って下さい。
●掲載中の情報の中には現在有効ではない情報が含まれる場合があります。内容についてはよくご確認下さい。

ページ先頭へ

e-HAKODATE .com
e-HAKODATEは、函館市道南の地域情報や函館地図、旅行観光情報、検索エンジンなど、函館道南のための地域ポータルサイトです