さようなら江差線 78年の歴史に幕

update 2014/5/12 10:15


 JR江差線木古内―江差間(42・1キロ)は11日の運行で廃止され、78年の歴史に幕を閉じた。午後10時8分、最終列車が終点の江差駅に入ると、詰めかけた住民や鉄道ファンらが盛大な拍手で歓迎。人々が照らすペンライトの明かりに見守られるように停車すると、「ありがとう」「お疲れさま」などと感謝の言葉が飛び交った。

   同区間は1936(昭和11)年11月10日に全線が開通。桧山と函館を往来する足としてのほか、桧山の木材や海産物などを運ぶ輸送機関として産業・経済を支えた。自動車時代の到来で乗客が減少し、80年に急行列車の営業を停止、82年には貨物輸送も廃止された。

 同区間は、ワンマン車両が1日6往復運行。輸送密度(1キロ当たりの1日平均利用客数)は、JR発足当初の87年度の253人に対し、11年度は6分の1以下の41人に減少した。同社によると、営業収入は10年度1600万円に対し、経費は20倍以上で、近年は年間3億円以上の赤字だという。

 利用者の減少や設備の老朽化、赤字経営などを理由に、同社が12年9月、同区間の「鉄道事業廃止」を公表。同社は「将来的な維持管理には相当な費用が必要となる」とし、木古内、上ノ国、江差の沿線自治体も廃線に一定の理解を示した。3町は地元支援策の代替バス運行をJRと協議し、合意。JRは9億円を拠出し、試算では18年間分のバス運行経費になるという。

 江差町民は「昭和11年の全線開業は沿線に住む人々の念願だった。上ノ国などでは当時、自分の土地を提供して開業を後押しした先人も少なくない。この思いを酌むと、廃線は残念」と回想する。

 江差線の木古内―五稜郭間(38キロ)は、2年後の北海道新幹線開業後にJR北海道から経営分離され、道と沿線自治体が第三セクターで運営することが決まっている。

 新幹線時代を迎える中、木古内―江差間の廃線は桧山圏にとって大きな痛手だ。廃線決定直後から、桧山振興局を中心に各町の観光協会や商工会などが課題を整理し、対応を急いでいる。

 また“廃線ブーム”によって、この1年は全国からの鉄道ファンや写真愛好家らによる特需に沸いた。江差駅付近の町民は「まさかこんなに熱心なファンがいるとは思わなかった。この人気が以前からあったら…」と複雑な表情。

 連日の報道などで、江差線の人気や注目度は全国区。課題は廃線後の桧山のまちづくりだ。

 JR北海道の島田修社長は11日、江差駅で開かれた式典で「78年間ずっと支えていただき、ありがとうございました。2年後の北海道新幹線開業後も江差を含めた道南の観光振興にお手伝いしたいと思っております」と謝辞を述べた。

 最終列車は多くの住民が振りかざすペンライトの明かりに包まれるようにホームに入った。町民は「江差線はきょうで終わるが、この1、2年で多くのことを教えてもらった。これからのまちづくりに必ず生かさなければ」と語る。

 江差線がもたらした桧山の輝く歴史の継承が始まる。

提供 - 函館新聞社

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