「榎本武揚の書」寄贈のお礼へ墓参り 江差の石橋さん、25日に岩手入り

update 2014/4/25 10:08


 【江差】箱館戦争当時に江差沖で沈没した旧幕府軍の軍艦・開陽丸の発掘調査に尽力した、元江差町教育長の石橋藤雄さん(89)が25日、岩手県陸前高田市に入り、活動を支えた恩人の墓前に手を合わせる。約40年前、石橋教育長宛てに「何かに役立ててもらえれば」と榎本武揚の書を寄贈した人物で、石橋さんは「じかに会ってお礼したいとずっと思っていた。書を大事に持っていた理由や意味合いを確かめたい」としている。

 書(縦1・4b×幅31・5a)を寄贈したのは、岩渕としみさん。1976年8月に4枚の書を江差に贈った。同じ文で1枚には印が押してあり、残りの3枚は下書きの可能性が高い。

 印のある書は、江差の開陽丸記念館で展示中だが、これまで脚光を浴びることはなかったという。

 石橋さんによると、この書は榎本武揚が仙台や石巻に約50日間滞在したときにしたためたものと分析。「奥羽越列藩同盟の結束が崩れ、頼りの仙台藩も和平論に傾きかけるなど徳川家の再興を願っていた榎本の意に反する時代の流れや、悩みの心情を表現したものに違いない。自分の行く末を予感してしたためたのでは」とみる。

 寄贈当時、江差での発掘事業が全国ニュースだった。石橋さんは「毎日発掘事業に追われて、礼状を出したつもりだが、忙しさを理由にしっかりとしたお礼ができていなかった。こればかりが心残りだった」という。

 そして2011年、東日本大震災が発生。連日、陸前高田市の報道に「あのおばあちゃんが心配だ…」と市役所に電話を入れた。岩渕さんは大震災前に亡くなっていたことが分かった。その後親族の情報も把握し、「どうしても会ってお礼を伝えたい」と岩渕さんの寄贈を紹介している石橋さんの著書を関係機関に贈るなどし、今年に入り訪問の段取りが一気についた。

 石橋さんは「岩渕さんのお墓参りと大震災の被災者への供養などもしっかりしてきたい。江差のようかんを持っていく」と話している。

 27日には東京で開陽丸子孫の会(榎本隆充会長)総会があり、石橋さんも出席して書の意味合いの解明に関係者の協力を呼び掛ける。

提供 - 函館新聞社

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