奉行所写真 田本研造が撮った 中央図書館に本人示す台紙

update 2011/12/30 10:39


 函館市の五稜郭にある箱館奉行所の復元の決め手となった古写真の撮影者が、函館の写真文化を築いた一人、田本研造(1832〜1912年)である可能性が強まった。函館市中央図書館で台紙付きの古写真が見つかり、専門機関でも確認。関係者は「撮影者を示す原物が出てきたのは初めてで今後の研究に弾みがつく。写真の価値や田本の功績が改めて見直されるのでは」と喜んでいる。来る2012年は田本没後100年―。

 箱館奉行所の復元は、1983年からの五稜郭跡復元整備の一環で同年に試掘調査が始まり、2006年に復元整備工事を開始。市はその際、フランスで見つかり、戦前に日本へ戻った古写真を外観設計の参考とした。撮影者を割り出す根拠がなく、フランス人説などとこれまで謎だった。

 一方、台紙付きの古写真は、横浜市の小森恵己子さん(81)が2009年7月、同図書館に寄贈した複数の写真から見つかった。明治初期に函館で商人をしていた先祖から受け継いだものという。

 2枚の写真は非常に似ており、デジタル画像解析の結果、撮影角度や陰影などを含め全く同じものであることが分かった。台紙は縦6・3a×横10aで「田本研造製」の朱印が読み取れる。写真はフランスで見つかったものより鮮明で両側が数a長い。

 五稜郭跡復元整備に初期から関わる、市立函館博物館の田原良信館長は「自然に考えて田本撮影でほぼ間違いない」とし、文献から1868(慶応4)年に撮影された可能性が高いとみる。雪が写っており、同年10月26日に榎本武揚(蝦夷地仮政権総裁)や土方歳三(新選組副長)らが五稜郭を占拠した後が有力で「田本が榎本や土方を撮影したという記録があり、出張撮影の際に頼まれて奉行所にカメラを向けた可能性もある。田本が函館で写真館を創業する前に当たることから、事実とすれば写真活動の初期の様子を見てとれる貴重なもの」と話す。

 同図書館では、新しく見つかった古写真を新年早々に一般公開する予定で、主任主事の奥野進さんは「田本没後100年に公開できることに縁を感じ、この写真の意味合い、函館にどう関係してきたかを考えてもらえるきっかけになれば」と期待する。

 また道立函館美術館でも東京都写真美術館などの協力で13年に、田本作品を目玉の一つとする展覧会を開催する予定で、主任学芸員の大下智一さんは「台紙が意味するのは田本がこの写真に深く関わっていたという事実。展覧会開催への心構えも変わってくる」と準備に余念がない。 田本直系の写真館「谷杉写真館」(美原3)の谷杉アキラさんは「台紙の話を聞いて、改めて写真の力を感じた。田本が残してくれた財産、功績に敬意を示したい」と声を張る。

 そして、田本の子孫に当たる市内の自営業、田本英司さん(53)は奉行所の写真撮影者について「先祖の生きた証しが今の函館の魅力づくりに役立っていることが何より」と話している。 ◆田本研造

 三重県熊野市生まれ。幕府の通訳として1859年に長崎から来函後、凍傷で片足を切断した。治療したロシア人医師ゼレンスキーから写真技術を学び、66(慶応2)年ごろから写真師として活動。69(明治2)年に道内初の写真館を函館に創設、明治政府の依頼で北海道開拓の記録写真など多くの映像資料を残した。

提供 - 函館新聞社


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