環境劣悪で被災者の疲労深刻、支援活動した渡島総合振興局の蛯澤さん語る

update 2011/3/23 15:15


 東日本大震災の医療支援として、道から宮城県に派遣されていた保健専門家第一陣の4人が22日午後、函館に戻った。14日から7泊8日、保健師として避難所で健康相談などに携わった、渡島総合振興局保健推進係長の蛯澤美保子さん(59)に被災地の様子を聞いた。

 ――どこで支援活動を。

 16日から気仙沼の避難所、鹿折(ししおり)中学校が拠点でした。火災や津波被害の地域で、体育館には高齢者を中心に500人、車や住宅で寝泊まりする300人がいたと思います。水、電気、生活物資が届かない状況で、寒さも加わり、非常に厳しい環境です。ただ、多くの被災者は協力的で、ご飯の用意や消毒の準備など率先して手伝ってくれます。

 ――避難する人の健康状態は。

 避難当初は乾パン1、2個が食事で、栄養面が心配されました。おにぎりなどをうまく飲み込めないお年寄りもいて、離乳食で対応しました。薬の手配が急務で、同姓同名も多く、病名や主治医を一人ずつ確認し、市立病院に情報を持ちよって可能な限りで用意してもらいました。お年寄りの体力が衰え、病院に搬送されても対応できずに避難所へ戻らざるを得ないことがありました。しかし深刻な状態で、医療専門家の協力で、何とか入院までこぎつけました。

 ――避難所の衛生状態は。

 清潔保持が難しいです。水がないトイレでは新聞紙に大便を包みます。その抵抗感から便秘になる人もいました。燃料がなく、寒くて寝られず血圧が上がる人もいました。21日から仮設トイレが使えるようになりました。自衛隊の医療班も入りましたが、被災者の疲労は想像以上です。

 ――避難所付近の様子は。

 ガソリンスタンドに100台以上並んでいるのを見ました。緊急車両も十分に入れられず、がれきや角材のくぎなどでパンクをしてもすぐ直せない状況です。避難所に物資が届き始めましたが、民家で過ごす人も多く、すべてに行き届いていないようです。

 ――避難生活で必要とされていた物資は。

 下着、靴下、女性の生理用品、この3つだと感じました。家族や知人が津波に流されるのを目の前で見ている人が多く、その一瞬を語り合っています。ショックと悲しみ、今後の生活の見通しの不安で涙を流す人が増えています。日を追うごとに感情的になり、心のケアが急がれています。

提供 - 函館新聞社


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