咸臨丸と開拓団の歴史紹介…水産高・片柳さんと加藤君 来月5日に発表

 函館水産高校(齋藤隆校長、生徒468人)が道教委の「北を活かす人づくり」推進事業の一環としてまとめた「咸臨丸」の最後の乗船者に関する研究を、同校水産食品科1年の片柳ひかるさん(16)と加藤匠君(15)が11月5日午後6時半から、函館市地域交流まちづくりセンター(末広町4)で発表する。乗船した伊達藩片倉小十郎家臣団の歴史などを取り上げ、函館と木古内、松前、宮城県、福島県など各地の史実をつなぎ、観光振興に活用してもらうのが狙いだ。先着60人には宮城県白石市名産の「温麺(うーめん)」のプレゼントも用意している。

 同事業は函館商業高、大野農業高と一緒に本年度までの3年間実施。函館水産高は独自の研究として、海にかかわる観光資源の発掘を進めており、今回は木古内町沖で座礁・破船したとされる本道開拓使の輸送船、咸臨丸にスポットを当てた。

 同校の研究によると、宮城県の武士一族片倉家は明治元(1868)年に戊辰戦争に敗れ、白石城などを没収される。新天地を求め、一族は明治4(1871)年に咸臨丸で本道開拓を目指し、その後、札幌に移住して東郊外に白石村(現在の白石区)を作った。

 この片倉家の2代目片倉小十郎重長の娘は松前家に嫁ぎ、その子は3代目片倉小十郎景長となって伊達家の「お家騒動」解決の立役者となった。松前家は文化4(1807)年、幕府に土地を公収され福島県伊達市の梁川に国替えされた時期、片倉家から支援を受けるなど、両家は深いつながりがあった。

 発表会ではこうした史実や背景を説明。各地のゆかりの場所の写真もスライド上映する。松前家の家老蛎崎波響と片倉小十郎の参謀とのかかわりや、白石村開拓団の子どもが後の納豆博士となるエピソードなども盛り込む。

 関連企画として11月4、5の両日午前9時から午後9時まで、同センターでパネル展を開催。同6日から27日には、木古内町中央公民館(木古内179)でも同様の展示会を行う。

 加藤君は「教科書に載っていない歴史でもっと知るべきことがあると実感」とし、片柳さんは「分かりやすく伝えたい」と話す。指導する我妻雅夫教諭は「こうした歴史的なつながりを各地の観光パンフレットに盛り込んでもらえば、観光ルートも広がるのでは」と話している。問い合わせは同校TEL0138・49・2411。

update 2008/10/28 13:26
提供 - 函館新聞社


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