門番所の礎石出土…五稜郭跡

 箱館奉行所復元工事が進む国の特別史跡「五稜郭跡」で、発掘作業中に正門の門番所の礎石が発見された。場所は正面入り口の本塁石垣の間で、1874(明治7)年の図面通りの場所に7つ埋まっていた。保存方針などは今後、文化庁と協議して決める。また、門番所の敷地内だったと思われる場所から、箱館戦争(68―69年)で新政府軍が函館湾から放ったと見られる大砲の先端部が見つかった。

 五稜郭跡の発掘は、正門と門番所の約40平方bや、市立函館博物館分館の約380平方bの範囲で9月上旬から10月下旬にかけて行われている。門番所の礎石は、福井で多く産出した笏谷(しゃくだに)石だった。30センチ角で約50センチの深さに、1間(約1・8メートル)間隔で一列に埋まっていた。平行にもう一列あるはずの礎石は、後にツツジを植栽した時に取り去られたとみられる。

 正門は外堀(二の橋)を渡った部分から門番所までの数十メートルのどこかにあったとされるが、場所は特定されていない。フジ棚の西側、本塁石垣間の約8メートル四方で9月下旬から調査を始めたが、まだ柱後などの痕跡は出土していない。しかし函館市教育委員会文化財課の田原良信課長は「門番所礎石の発見は門の存在を裏付けた」と判断している。

 砲弾は、図面によると門番所の縁があった場所から出土した。新政府軍が戊辰戦争に投入し函館湾から五稜郭に砲弾を撃ち込んだ軍艦「甲鉄」に積み込まれていた70ポンド砲の先端と見られる。田原課長は「箱館戦争を終わらせた砲弾の一つと考えられる」と話し、市の施設で資料として展示する考えだ。

update 2008/10/6 14:17
提供 - 函館新聞社


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