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by まぐまぐ

 

十字街TODAY

生まれ変わる十字街 〜末広町5番A地区市街地再開発事〜


昭和9年(1934年)の「函館大火」以前の十字街、大商店が建ち並ぶ (十字街交差点より宝来町を望む)

昭和9年(1934年)3月21日「函館大火」後の復興が進む十字街 (十字街交差点より宝来町を望む)

資料提供:市立函館図書館
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再開発工事開始前の十字街。市電の後ろに見える一角に、地下1階地上8階建のビルが建設される。

<函館市末広町五番街地>
函館市末広町五番街地とは、ちょうど市電の通り、末広町十字街交差点の復元保存されている市電のポイント切り替え所のあるところの角地一帯。この五番街地の一部(とは言え、半分以上の土地)が市街地再開発事業として、ガラリと生まれ変わるのだ。

末広町は、明治14年(1881年)に内澗(うちま)町と地蔵町が合併、末広がりという縁起を担いでこの町名になったといわれている。
明治時代、函館一の繁華街末広町は「東京以北最大の市」とまで言われるほどで、商業地として北海道の経済の8割を握っていたとか。その当時、十字街交差点から大町または宝来町あたりまでの通りには各種大商店や問屋、日本銀行や三井銀行などの金融機関や商社、警察署、新聞社などが軒を並べていた。船着場や税関もあったためか、街並みや道ゆく人々は、諸外国の文化が入り混じったハイカラで品格がある雰囲気だったそう。
そんな町のメインストリート十字街は、当時函館で一番の繁華街の中心。粋で気高い賑やかさのこの通は、函館の豪商専門店や問屋が多く建ち並び、華々しい商取引きで賑わう小売商店街だった。
大正時代には北洋漁業の繁栄でさらなる賑やかさと経済の発展を見せていたものの、市街地の約1/3を焼失し約3000人の被害者がでた昭和9年(1934年)の「函館大火」後の都市計画を境に、繁華街の中心も大門(駅前通り)に移り、十字街の賑わいは衰退していった。

今も末広町の栄枯盛衰の面影を色濃く残す十字街の街並みがいよいよ取り壊され、まったく新しい函館の顔として生まれ変わる。
平成5年(1993年)から市と、地元商店街でつくる協同組合十字街商盛会(若山直理事長)との共同で計画された市街地再開発事業。平成11年(1999年)から具体的な現況調査、権利変換計画、地盤調査など、長い時間をかけて綿密に調査計画された再開発で、この0.6ヘクタールの土地に建つのは、水道局と店舗が入る地下1階地上5階建ての業務棟と、地上8階建ての市営住宅となる住宅棟の二棟からなる複合ビル。その建築が、いよいよ平成13年(2001年)10月から着手となった。
ベイエリアや函館山、元町西部地区という観光スポットに近いことから、業務棟の一部には観光客が利用できるスペースも必要と考えられている。


▽施行地区:函館市末広町5番3ほか
▽総事業費:約33億円
▽建築工事:平成13年(2001年)10月から翌平成14年(2002年)9月完成予定
▽施工者:函館西部開発株式会社
▽施工建物概要
・業務棟:鉄骨鉄筋コンクリート造/地下1階地上5階/延べ面積11,940平方メートル
・住宅棟:鉄筋コンクリート造/地上8階/延べ面積1,990平方メートル



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