2005年10月22日
大門横丁とバル街
10.23にグランド・オープンの「大門横丁」(URL)昨日21日は関係者向けプレオープンでした。
26軒が800㎡に軒を接するレイアウト、各店のデザインもちょっとお洒落な屋台風ですっきり仕上がっています。いろいろ紆余曲折のあった「北日本最大」の屋台村ですが、ぜひとも成功していただきたいもの。成功の鍵は、店主+お客+お客のコミュニケーションが「楽しく」できるかどうかにかかっていると思います。バル街の感想でも「隣のグループと話ができて盛り上がって楽しかった」というのが他のコメントを圧倒していました。人と人が作り出す賑わいの根源は「コミュニケーション」。屋台の8人の席は店主を取り囲むように「コの字」になっています。その中心にいる店主がコミュニケーションの要の位置にいる。これが「屋台」の魅力の源なのです。
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ところで、バル街参加者の皆さんには下のポスター、チケットに見覚えがありませんか?そうですバル街のそれによく似ていますね。実はいずれも同じ制作会社が作りました。ハコダテのレトロを代表する西部地区と大門地区、それぞれの再生・活性化をめざすプロジェクト奇しくも同じチームが宣伝・広報でお手伝いしているわけです。
大門横丁は「毎日:バル街」というキャッチフレーズ。いつか使ってみたいですね


投稿者 bar-gai : 15:40 | コメント (0)
2005年10月07日
地域社会論としての「バル街」
前にもご紹介した、京都の大学の先生による「バル街」論、若干のお休み後の再開第1稿です。「その8」。
短期間によくここまで書き綴ってこられたものと感心します。当方からお送りした資料をベースに、古今の社会学関連文献からいくつかのキーコンセプトを選んで,「バル街」を多様な切り口で論じていただいています。こういう第三者による「外部評価」はとても重要なことです。さらなる続報を期待。
■ブログ版「環境社会学/地域社会論」
(サブタイトルは本サイトの管理人がつけました)
その1 紹介と感想
その2 バル街のコンセプト(願望を交えて)
その3 「地域社会の公共性」とバル街
その4 バル街と社会関係資本
その5 バル街 その 「成長・改良・発展」
その6 バル街:新しい「豊かさ」を求めて
その7 バル街社会学・次への展望と課題
その8 バルⅣを終わって
龍谷大学の脇田先生による(多分)本邦初の「地域社会論としての『バル街』」も着々と積み重なってきました。8回目はバルⅣを終わってからの各種情報を読み解いて、「何が」起こったかを分析していただきました。それにしても先生には是非次回のバル街でフィールドワークをしていただきたいものです。とりあえず、ご苦労様でした。
投稿者 bar-gai : 09:47 | コメント (2) | トラックバック(5)
2005年09月19日
「バル街」が普通名詞?!
Googleで「バル街」をサーチしたら面白い用例を発見しました。
日本政策投資銀行(函館支店)が作成した「レポート」に「バル街方式」という言葉が使われているのです。
特段の注もなく、突然使われているところをみると、このレポートの筆者にとっては「バル街」があらためて説明の必要が無い(つまり普通名詞として)言葉として意識されていたと推測できます。さすがに「そこまではね~~」というのが本音ですが、ともあれ、一般の方々(まだ函館という一地域内ですが)への認知度の高まりの証拠?のひとつとはなりそうです。なお、ファイルはPDFで結構重い。全52ページ中の42ぺ-ジに登場します。お暇な方はTryしてみてはいかがでしょうか。
http://www.dbj.go.jp/hokkaido/seminar/pdf/050812.pdf
投稿者 bar-gai : 23:24 | コメント (0)
2005年09月17日
「風の都」というタイトル
今回のバル街Ⅳのポスターに掲げられたCatchPhraseは
「風の都を感じるとき」
です。
函館を「風の都」と表現したのは明治11年(1878)に函館を訪れた、英国人女性旅行家、イザベラ・バード(Isabella L.Bird)です。バード女史はまだ交通手段は十分ではない時代に、日本のみならずオーストラリア、朝鮮、マレー半島、チベットなどを踏査し、貴重な記録を著しています。日本関係の著作は「日本奥地紀行」(原著:Unbeaten Tracks in Japan),その中に、東京から発して、北海道へいたるたびの記録が残されています。もちろん、北海道の玄関、函館についてもかなりのページが割かれています。
函館について書かれた章のサブタイトルに使われているのが、「風の都」(Windy Capital)という言葉です。函館は当時から風の強い町で、バードは風対策の重しとして民家の屋根にびっしりと置かれた石に随分と興味を引かれたようです。当時、すでに定期の蒸気船が始まっていた青森から函館に着いたときから強風と大波に見舞われたバードは、税関の近くの桟橋に上陸し、ずぶぬれの状態で教会(英国国教会か)にたどりつき、心底ほっとした様子も記しています。
バードから120年、函館の変貌は著しく、女史の目に映った風景は函館山を除いてはほとんど観ることはできないでしょう。しかしバードが感じた「風」は多分いまも山の麓をまくように、時には強く、あるいは弱く、かつてと同じようにこの街を歩く方には感じられる筈です。
バル街の使っているPhraseは「風」シリーズです。
第2回 あの風が吹いた街へ![]()
(以下、訳書(高梨健吉訳、平凡社刊、「日本奥地紀行」より)

函館にて 1878年8月13日
天候は二日間も荒れ狂って、ようやく美しく晴れてきた。ここの気候は本土よりも爽快に感じられる。ここも日本なのであるが、何か異なったところがある。霧が晴れると、一面に緑で包まれた山々ではなくて、裸の峰や火山があらわれてくる。火山は、ほんの最近に爆発したもので、赤い灰が昼の太陽の下に燃え、夕日には桃色から紫色に変わってゆく。砂浜が湾を縁どり、あちこちに松林や雑木林のある山々は、遠く青色にかすんでいく。大きな雲は赤茶けた山腹に藍と紫の影を投げている。陸地に取り囲まれた湾の水はアドリア海のように青い。青白い小舟の白帆は紺碧の空の下で雪よりも白く見える。町の背後に聳える二つの山は、杉の林におおわれて、それほど険しくも見えない。砂浜が岬と本土を結んでいるので、ジブラルタルと地形がよく似ている。しかし西欧世界のことを考えていると、人力車が前を走っており、お寺の太鼓が聞こえてくるが、それは「英国のドラムのすり打ち」とは似ていないものである。お寺へ行く葬式の列が街路を通って行く。あるいは大八車が通る。黄色い皮膚をして、着物をほとんどつけていない小人のような四人の男が、単調な「ハア、フイダ」と掛け声をしながら引いたり押したりして車の音をさせながら通り過ぎる。
函館を一見しただけでやはりどこからどこまでも日本的だと感ずる。街路は非常に広くて清潔だが、家屋は低くてみすぼらしい。この町はあたかも大火からようやく復興したばかりのように見える。家屋は燃えやすいマッチも同然である。他の都市にあるような雄大な瓦屋根は見られない。幅広く風の多いこの町で永久に存続するようなものはなにもない。ここは人もますます増え、繁華なところである。町は海岸に沿って2マイルも続き、丘の上まで登っている。それでもやはり家屋や住民は貧しそうである。町はまた骸骨のような様相を呈している。それは屋根の上にたくさんのがっちりした「物干し台」が見えるせいもあろう。しかし恒久性のものに石がある。高いところから見下ろすと、何マイルも、灰色の丸石が波のように続いて見える。この風の都の屋根はどれも敷石の重みで押さえつけてあることがわかる。こればかりではない。中庭のように一面に小石が敷き詰められている平屋根もある。あるいはこの家の屋根の場合のように、芝土やいく株もの草花でおおわれている。これは火事の際に火の粉を防ぐために施されているものである。これらの屋根に葺いてある石は、このように風の多い地方の屋根を守るために最も安価な方法であることは確かである。しかしそれは奇妙に見える。
・・・
投稿者 bar-gai : 10:57 | コメント (0)
2005年08月07日
8.30 旧桟橋が一夜のバーに
バル街に約1か月先行して、面白いイベントが計画されています。名づけてモバイル・バーカウンター・プロジェクト。キャッチは「港にカクテルを灯すー旧桟橋を一夜のバーに」というもの。要は、ベイエリアの旧桟橋を一晩借り切ってそこで「不思議な」バー空間(コンピュータが見えないところで支援している)を作って、「バー杉の子」をやってしまおうという試み。仕掛け人は慶応の田中浩也講師と同研究室の16人の学生。バル街実行委員(星野)がサイトマネジメントでかかわっているほか、深谷委員長始め多数のバル街関係者が応援しています。
函館の名高い「観光スポット」を「バー」にしてしまうというこの破天荒なイベント、必ずや面白い発見があると思います。皆様のご参加をお待ちしています。
参加要領は下記の通り
1)日時:2005年8月30日(火) (雨天の場合は31日に開催)18:00~22:00
2)ドリンクチケット: 1,000円(2ドリンク)
販売場所 舶来居酒屋 杉の子 バルレストラン ラ・コンチャ、 カフェ・やまじょう など
3)場所: 末広町旧桟橋 (市電末広町 徒歩3分)
4)なお、当日は FMいるかの中継、ネットラジオの実験放送も予定
詳細は本サイトからも引き続き発信します
